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株式会社石井精工 インタビュー

Crafters of Sumida · Interview

墨田区のゴム金型メーカー 石井精工 創業1959年 次代が描く新しい町工場

1959年、墨田区八広で旋盤一台から始まった石井精工。部品加工から金型製造へと仕事を広げ、現在はゴム金型を中心に、成形や自社商品開発にも取り組んでいます。取締役・統括マネージャーの石井洋平さんに、製品図面から金型を考える仕事、父である社長との関係、技術の継承、そしてこれからの町工場について聞きました。

お客さんから届くのは、つくりたい製品の図面だ。その製品をつくるための金型は、まだ設計されていない。

洋平さんによると、見積もりを出す人は、製品図面と顧客の仕様から金型の構造を頭の中で考える。そのうえで、加工にどれくらいの工数がかかるかを見込まなければならない。

「製品図面を見て、お客さんの仕様に合う金型を頭の中で設計しないと、見積もりもできないんです」

金属を削り始める前から、金型づくりは始まっている。

旋盤一台から始まった金型づくり

石井精工の創業は1959年。洋平さんの祖父母が、墨田区八広で旋盤一台を使った部品加工を始めた。

最初からゴム金型の会社だったわけではない。丸い部品を削る仕事から、フライス盤などを使った加工へ。近隣の金型会社から加工を請け負う中で、板金の金型やプラスチック金型へと仕事を広げていったという。

その後、ゴム金型の依頼を受けたことが転機になった。手がけてみると会社に合っており、次第にゴム金型の仕事が増えていった。

洋平さんは、ゴムはプラスチックに比べ、製品の内側など見えないところに使われることが多いと話す。用途によっては表面の仕上がりを厳しく求められない案件もある。必要な精度は守りながら、そうした仕事の特性を利益につなげられることも、ゴム金型を手がける理由の一つだという。

戻ってこなくていいと言われた息子が会社へ戻るまで

洋平さんは、大学卒業後、アルミダイキャストメーカーの営業職に就いた。就職活動では業界を絞らず、経営やマーケティングに関われる仕事を探していた。内定を得た会社の中から選んだのが、偶然、製造業だったという。

「就職活動の頃は、家業を継ぐのは嫌だと思っていました」

当時は栃木県で暮らし、工場へ車で通っていた。転機になったのは母親の病気だった。いつか東京へ戻るつもりなら、今戻ったほうがよいのではないか。そう考え、3年弱勤めた会社を退社し、石井精工に入社した。

父である石井隆司社長からは、戻ってこなくていいと言われた。後になって、父自身も先代から同じことを言われていたと知ったという。

取材時点で、会社に入って約15年。洋平さんは、会社を立ち上げることと、代をつないでいくことには、それぞれ違う大変さがあると感じている。

「一から立ち上げるのも、代をつないでいくのも大変だと思います。環境や時代も変わるので、やってみて初めてわかることがあります」

父と息子は正反対 それでも大切にしていることは同じ

父と息子で考え方がぶつかることは、珍しくない。

洋平さんは、自分を心配性だと話す。先々の問題を考え、今の状況に照らして理由を説明しようとする。一方、父はこれまでの経験から判断し、思い切って動ける人だという。

資金を借りるタイミングや展示会への出展など、進め方をめぐって意見が分かれることもある。理屈だけでは伝わらないと感じたときも、自分がどう考え、何をしたいと思っているのかは伝えるようにしている。

「大事にしていることは、一緒だろうなと思うんですけどね」

考え方が正反対の二人だからこそ、バランスが取れているのではないか。そう尋ねると、洋平さんも、そう思うところはあると答えた。

約1200社の中でゴム関連は5社 展示会で見つけた可能性

石井精工は多くの顧客と取引し、一社だけに頼らない経営を続けてきた。洋平さんも、それを会社の強みだと考えていた。

ところが、取引先を見直すと別の偏りがあった。顧客の数は多くても、その先にある業界が自動車に集中していたのだ。業界も広げたいと考え、展示会への出展を提案した。

父から効果を問われ、改めて会場を見に行くと、約1200社が出展する展示会で、ゴム関連は5社ほどだったという。一方、金属加工の会社は数百社あり、多くのブースには金属部品が並んでいた。

「金属加工の何百社の中に出ても勝てない。でも、ゴムの5社の中に出たら勝てるかもしれないと思ったんです」

ゴム関連の会社に声をかけ、最終的に2社で共同出展したのは2020年2月。新型コロナウイルスの影響が出始め、展示会への来場者は少なかった。

それでも、出展者同士の交流から3社が新しい顧客になった。いずれも自動車以外の業界だった。

その後、自動車関連の仕事が動かない時期に、釣り用品など別分野の開発が進んだ。展示会で出会った顧客からの仕事が、一時期は売上の約4分の1になったという。

洋平さんは運もよかったと振り返りながら、業界を分散できたことで、売上に大きな変動がないままコロナ禍を乗り越えられたと話す。

金型は売ったら終わりではない

石井精工の取引先は、大手企業から町のゴム関連企業までさまざまだ。つくりたいゴム製品について相談を受け、設計から手がけることもある。

金型は、つくって納品すれば終わりというわけではない。納品した後にも微調整を求められ、金型を送り返してもらうことがある。

海外と直接取引する難しさについても、洋平さんはこの点を挙げる。日本と海外で金型を往復させると、時間と費用がかかる。そのため、国内の顧客との取引が中心になるという。

一方で、国内の顧客に納めた金型が、その企業のアジアの工場へ運ばれることもある。取引の窓口が国内にあっても、金型が使われる場所は日本だけとは限らない。

人と同じように 機械にも個性がある

石井精工に入社した洋平さんは、6年から7年ほど製造現場で働いた。自分で加工データをつくり、CADを使い、加工にも携わった。

「現場を経験してよかったと思います。経験がなければ、指示を出しても言葉に重みがなくなってしまうと思うので」

現場で向き合う機械にも、一台ごとの違いがある。同じメーカーの機械でも、一度基準を合わせた後、一晩たったときの寸法変化の度合いは同じではない。長く使うほど、その差が出てくるという。

「人と同じで、機械にも個性があります。それを感じ取ろうとしないと、同じことを繰り返してしまうんです」

小さい頃から工場が身近にあり、ものを作ることが好きだった洋平さん。今も、子どもの頃から知っている職人が働いている。

そうした環境で身についた感覚がある一方、その感覚を次の人へ伝える難しさも感じている。

職人の感覚を次の世代へ 一人ひとりに合わせた育成

感覚で加工できる職人ほど、教えるときにも感覚的な言葉が出てくる。もう少しだけこうしてほしい。その少しを、数字や言葉で伝えるのは簡単ではない。

洋平さんは、教える側に伝え方を助言するなど、職人と学ぶ人との間に入っている。

新しく入った人の習熟度に差があることは、当たり前だと考えている。最初の約3か月は共通のプランに取り組み、進み具合を見て、1年目にどこまで目指すかを個別に決める。育成担当者を付け、月ごとの振り返りや面談で状況を確かめていく。

仕事との相性を考えるうえで大切なのは、ものづくりが好きかどうかだという。機械の癖や不確定な要素を面白いと感じられるか。自分がつくったものが世の中に出ていくことを、誇らしく思えるか。そうした人が、この仕事に合っているのではないかと話す。

試作を重ねて形になった 香るボタン ALMA

洋平さんが自社商品づくりを始めた背景には、会社を知ってもらい、人材を集めたいという思いがあった。

墨田区の取り組みを通じてデザイナーと出会い、当初はゴムの商品をつくろうと考えた。しかし、自分たちが担っているのは金型づくりであり、その後のゴム製品づくりは自分たちの手を離れる。その点をデザイナーと話す中で、自社の金属加工を生かした商品へと方向を変えた。

最初に考えたカトラリーなどは、金属を削り出すと価格が高くなってしまった。多くの人に手に取ってもらうにはどうすればよいか。贈り物にできる価格や大きさを考え、アクセサリーへと絞り込んでいく。

そこに香りを楽しむ機能を加え、形になったのが、ボタン型アクセサリー「ALMA」だ。

ボタン型アクセサリー「ALMA」
ボタン型アクセサリー「ALMA」

加工に使ったのは、導入したものの使いこなせず、止まっていたNC旋盤だった。本業で使う機械を止めずに商品をつくるため、その機械を動かそうと考えた。

最初はボタンの形にすらならず、不良品が続いた。担当者と何ヶ月も説明書を読み、試行錯誤を重ねた。

ようやく量産できるようになり、外注先でも作れるようにしようとしたところ、専門の会社も最初はうまく加工できなかった。

「自分たちに技術がないから苦戦していると思っていたら、専門の会社も苦戦するような難しいことをやっていたんです」

自社でうまくいった加工方法を伝えると、外注先でも作れるようになった。洋平さんにとって、売上とは別の達成感があった出来事だ。

ALMAではクラウドファンディングにも挑戦した。その後も、金属の割り箸「MITATE」など、少しずつ自社商品開発を続けている。

本業を続けながら 新しい可能性を育てる

金型は注文を受けてからつくる。一方、自社商品は、売れるかどうかわからない段階で試作し、在庫を用意する必要がある。

受注品をつくる現場からすれば、売れると決まっていないものを何度も作り直すことになる。社内で自社商品づくりを進める難しさもあったという。

一つの転機になったのは、展示会でバイヤーが商品を評価する様子を、社員にも見てもらったことだった。こういう商売の仕方もあるのだと認識してもらえ、その後の商品開発を進めやすくなったと振り返る。

「本業が太い柱であることは間違いありません。自社商品は、みんなのモチベーションや、次へ進むための枝葉だと思っています」

金型以外のものをつくることで、加工方法や顧客とのやりとりの経験が増える。将来、事業を変える必要が生じたときに、すぐ動けるようになるのではないか。そうした考えで、取り組みを続けている。

日々の改善から始める 3DプリンターとAI

石井精工では、3Dプリンターを日常的に使う機会をつくっている。5S活動に組み込み、治具を置くための受けなどを製作している。

洋平さんがうれしかったと話すのが、リューターの修理だ。リューターは、先端を高速で回転させてバリ取りなどに使う道具。外装のプラスチックが劣化して割れてしまったが、機械自体はまだ動いていた。

すると社員が、3Dプリンターで新しい外装をつくったという。

今は3Dプリンターが直接売上を生んでいなくても、将来、金属3Dプリンターがもっと身近になったとき、抵抗なく使い始めるきっかけになる。洋平さんはそう考えている。

AIについても社内研修を行い、まずは事務作業や生産管理での活用を考えている。

一方、見積もりの自動化には難しさを感じている。製品図面から、まだ設計されていない金型を考えなければならないためだ。過去の似た図面や、そのときの価格を探せるだけでも役立つのではないかと考えながら、最終的な判断には人が必要だと話す。

格好いいと思うことと 働きたいと思うことの間に

洋平さんが長年悩んでいるのが、人材の採用と定着だ。

金型づくりは、入ってすぐに覚えられる仕事ではない。長く働きながら技術を身につけてもらう必要がある。少人数で会社を続ける中で、人材について安心できる状況にはないという。

ものづくりを伝える難しさも感じている。メディアに登場する現場は、大企業のライン作業、昔ながらの町工場、工芸の職人といった姿に偏りがちではないか。自分たちのような仕事の実際が、十分に伝わっていないと感じることがある。

機械の加工映像を見て格好いいと思っても、そこで働きたいと思うとは限らない。町工場に対して抱かれているイメージを、どう変えていけばよいのか。洋平さん自身も、答えを探している。

墨田区に期待する取り組みとして挙げるのも、人材の確保だ。企業とデザイナーの連携や新しい商品づくりに加えて、それを担う人を迎える取り組みも必要だと考えている。

たとえば、墨田の企業が協力して若い人を集め、仕事を紹介する就職イベント。企業だけでなく、働く人も集まる地域にできないかと話す。

ここで働いてよかったと思える会社へ

5年後、10年後、石井精工をどのような会社にしたいのか。最後に尋ねると、洋平さんはこう答えた。

「みんなが笑って仕事をしている会社であり続けたい。みんながここで働いていてよかったと思える会社にしていきたいです。」

そうありたいと思う一方、実現の難しさも感じている。厳しいことを言わなくても、仕事がうまく回る状態にしたいという。

そのために、本業で顧客の信頼を損なわない誠実な仕事を続ける。AIを前向きに活用し、生産性を高め技術向上の時間や個々の時間に使ってもらえるようなより良い社内環境につなげていきたいと話す。

旋盤による部品加工から金型へ。さらに自社商品や新しい道具へと、取り組む仕事は変わってきた。これからも本業を続けながら、新しい町工場の形をつくっていきたい。それが洋平さんの描く、石井精工のこれからだ。

Q&A

どのようなものづくりを相談できますか

ゴム・プラスチック金型、ゴム製品・金属製品、治具、商品開発支援などを手がけています。具体的な対応範囲は、図面や要望をもとにご相談ください。

金型の仕様が決まっていなくても相談できますか

はい、ご相談いただけます。形状の検討段階からのご相談や、設計段階での改善提案、工法の検討にも対応しています。まずはお気軽にお問い合わせください。

どのような人が仕事に向いていますか

機械ごとの違いや不確定な要素を面白いと感じ、自分がつくったものが世に出ることを誇らしく思える方に向いていると考えています。詳しい募集要項は採用情報ページよりご確認ください。

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