「日本刀を、博物館の展示のように自宅で眺めたい」。そんな相談を受けたとき、間中木工所の3代目・間中治行さんは、実際に博物館へ足を運んだ。
どんな角度で置けば刀が美しく見えるのか。長さの異なる刀をどう展示するのか。安全面や法的な条件を満たしながら、「いつでも眺めていたい」という持ち主の希望をどう実現するのか。依頼主から専門的な知識を教えてもらいながら、素材や構造、見せ方を一つずつ考えていった。
1924年創業の間中木工所が手がけるのは、こうした既製品では答えが見つからない特注家具だ。住宅や店舗の家具だけでなく、趣味のコレクションを見せる家具や舞台装置、暮らしの変化に合わせて形を変えられる家具など、依頼内容は毎回異なる。
「世の中にないものを求められるケースが多いので、毎回トライアルなんです。毎回、自信はないですよ。でも、頭の中では完成しているんです」
100年以上ものづくりを続けてきた会社でありながら、毎回が新しい仕事。その一つひとつに、依頼主やデザイナーと一緒に答えを探しながら向き合っている。
建具から既製家具、そして特注家具へ。時代に合わせて変わった100年
間中木工所の創業は1924年。日用品の多くに木が使われていた時代、建具などの加工を請け負う仕事から始まった。
その後、比較的早い段階から機械を導入し、加工だけでなく自社で製品をつくるようになる。戦後のベビーブームの時代には、育児家具やベビーベッドなどの既製家具も手がけた。
大きな転機となったのは昭和40〜50年代。地方に大規模な量産工場が増え、「同じ品質のものを、安く、大量につくる」という競争では、土地やコストの高い東京都内の工場は不利になっていった。
そこで先代が選んだのが、既製品から特注家具への転換だった。大量につくるのではなく、一つひとつ違うものをつくる。都内に工場があるからこそ、設計事務所やデザイナー、顧客と直接顔を合わせられる。その距離の近さを強みに変えていった。
間中さん自身も、いずれ家業を継ぐことを意識しながら大学で都市計画を学び、卒業後は照明計画を手がけるデザイン会社へ入社した。建築よりも短いサイクルでデザインや空間について学びたいと考えたからだ。そこで経験を積んだ後、父から声をかけられ、間中木工所へ戻った。
「こんなに作れるのに」下請け中心の仕事からの転換
間中さんが会社に入った頃、仕事の多くは下請け・孫請けだった。間に会社が増えるほど、最終的に家具を使う人が何を望んでいるのかが見えにくくなり、こちらが良いと思って提案したこともうまく伝わらない。伝言ゲームの途中で、本当に大切だった部分が変わってしまうこともあった。
それでも現場では一生懸命つくる。「こんなに一生懸命やって、こんなに作れるのに」。間中さんには、そんなもどかしさがあったという。
考えた末に行き着いたのが、技術力だけでは足りないということだった。必要なのは「提案力」と「デザインを理解する力」。自分自身がデザイナーになる必要はなくても、デザイナーがなぜそうしたいのかを理解できるメーカーでありたい。そして、できるだけ顧客とも直接話したいと考えるようになった。
ちょうどその頃、インターネットが一般に普及し始めた。
施工事例をインターネットに載せたら、お客さんが変わった
まだ多くの企業ホームページが“タウンページの代わり”のような存在だった頃、間中木工所は施工事例を少しずつ公開していった。すると、「こんなものがつくれるなら、これも相談できるのではないか」と考えた人から、直接問い合わせが来るようになった。
現在では、問い合わせの多くがホームページをきっかけにしたものだという。個人客との付き合いが10年、20年と続くこともあり、最初は住宅の家具を依頼した人が、子どもの成長に合わせて部屋の改装を相談したり、勤務医だった人が開業する際にクリニックの空間づくりを依頼したりすることもある。
一度家具を納めて終わるのではなく、暮らしや仕事の変化に合わせて、関係そのものが続いていく。
「もっと薄くしたい」に、メーカーとしてどう応えるか
間中木工所が現在のものづくりで大切にしているのが、クライアント、デザイナー、メーカーが対等な立場で意見を出し合うことだ。
たとえば、デザイナーから「もっと薄くしたい」という要望が出たとする。メーカーの立場だけで考えれば、「これ以上薄くすると強度が足りないので無理です」と断る方が簡単だ。
しかし間中さんは、そこでまず「なぜ薄くしたいのか」を考えるという。薄い方が美しいからなのか、空間全体とのバランスなのか。デザイナーが目指している意図を理解したうえで、「では、あと何ミリ薄くできるか」を検討する。
もちろん、薄くすれば強度や耐久性のリスクは高まる。その点も含めて説明し、問題が起きた場合の対応まで共有する。
「メーカーだからできないと言う」のでもなく、「デザイナーの要望をそのまま受け入れる」のでもない。デザインの意図を理解し、それを実現する方法を技術側から一緒に考える。間中さんが考える「対等なものづくり」は、そうした関係だ。
お客さん自身が、その世界の一番のプロ
間中木工所には、既製家具のカタログを見ても答えが見つからなかった人たちがやってくる。
「大切なギターを、もっとかっこよく飾りたい」「日本刀を、博物館のように見せたい」「フィギュアやNゲージの世界観を、空間ごと表現したい」。相談内容はさまざまだ。
面白いのは、間中さんが「こちらが教える」という姿勢ではないことだ。ギターなら持ち主の方がギターを知っている。日本刀ならコレクターの方が刀を知っている。猫のための家具なら、実際に猫と暮らしている人の方が必要な寸法や動きを知っている。
「その世界については、お客さんの方がプロなんです」
だからまず教えてもらう。何を持っているかだけではなく、それをどう使いたいのか、どう見せたいのか、何を大切にしているのかを聞き、その内容を家具や空間として成立させる方法を考える。
日本刀の展示家具では、博物館を参考にしながら、長さの異なる刀に対応できるよう展示位置を変えられる仕組みも検討した。依頼主の専門知識と、間中木工所の設計・製作の経験を組み合わせて、一つの答えをつくっていく。
単に木を加工するのではなく、まだ具体的な形になっていない「こうしたい」を、依頼主と一緒に形にしていく。それが特注家具の仕事の面白さでもある。

木工所でも、答えが「木」とは限らない
木工所だからといって、木だけにこだわるわけではない。相談を受け、空間や用途を考えた結果、提案したものがほとんど金属になったこともあるという。
家具や空間を構成するのは、木だけではない。金属、ガラス、樹脂など、必要に応じて異なる素材の専門家と協力する。ここで活きてくるのが、墨田区のものづくりのネットワークだ。
墨田区には、異なる素材や加工技術を持つ企業が近い距離に集まっている。「この素材は、あと何ミリまで薄くできるのか」「この色は、どこまで再現できるのか」といった相談は、インターネットで一般的な情報を調べるだけでは答えが出ない。
実際につくっている専門家同士だからこそ話せる、素材や加工の限界がある。そんなときに近所の企業と顔を合わせて相談できることも、間中さんが墨田でものづくりを続ける強みの一つだと考えている。
一人の職人が、最初から最後までつくる
特注家具は、同じものを繰り返しつくる仕事ではない。そのため、職人の育成にも時間がかかる。
間中木工所では、一つの家具を工程ごとに細かく分業するのではなく、一人の職人が木取りから加工、組み立て、仕上げまで一連の流れを担う。現場での取り付けにも立ち会い、自分がつくった家具がどんな空間に入り、誰にどのように使われるのかまで見る。
一通りの仕事ができるようになるまでには、およそ10年。木工技能検定などで基本を身につけながら、新しい素材や接着剤などの知識にも向き合い続ける必要がある。
一方で、間中さんは全員を同じ職人に育てたいわけではない。基本を身につけたうえで、その人が好きなことや得意なこと、持っている個性を伸ばしていきたいと考えている。
パリへの出展で気づいた、「地域」の重要性
約10年前、間中さんは仲間たちとパリの展示会に出展した。当時は「海外で評価されて、日本へ戻ってこられたら格好いい」という気持ちもあったという。
ところが、現地で繰り返し聞かれたのは、技術がどれほど高いかという話だけではなかった。
「どんな土地で、どのような背景から生まれたものなのか」。
技術やデザインの良さは、海外の買い手にとってある意味で前提条件だった。では、なぜわざわざ遠い日本から買うのか。その理由まで説明できなければならない。
その経験から間中さんは、海外で評価されることを目指す以前に、まず地元で評価され、地域との関係をつくることが重要だと考えるようになったという。
墨田の木を、地域で活かす「すみだの森」
そうした考えともつながっているのが、「すみだの森」プロジェクトだ。墨田区内の公園や神社などで伐採される樹木を引き取り、家具やベンチ、什器などに活用している。

大学の研究者と連携し、屋外ライブラリーの製作などにも取り組んでいる。単に木材を再利用するだけでなく、「どこで育ってきた木なのか」という背景も含めて地域の中で次につなげていく取り組みだ。
木は同じ種類であっても、育った場所や環境によって特徴が異なる。間中木工所では家具に使う木材を考える際にも、色や木目だけでなく、その木が持つ背景やストーリーを意識しているという。
また、加工の際に出る廃材を子どもたちのものづくり体験に提供するなど、地域の活動にも協力している。
「ものづくりを、もう少しかっこよくしたかった」
間中さんがさまざまなことに挑戦してきた背景には、シンプルな原動力もあった。
若い頃、ものづくりの仕事はいわゆる「3K」のイメージで語られることも多かった。そんな時代に、「自分の仕事が格好悪いのは嫌だった」と間中さんは振り返る。
デザイナーと対等にものをつくる。自分たちから提案し、顧客と直接話す。海外にも挑戦し、CGなど新しい技術も使う。そうした仕事のあり方を見せることで、「ものづくり」に対するイメージそのものを変えたいという思いがあった。
下請け中心の仕事からの転換やインターネットへの挑戦、デザインへの関心も、そうした考えとつながっている。
Second Lifeの時代から考えていた、仮想空間のショールーム
間中さんとデジタルとの関係は、最近始まったものではない。前職の照明デザイン会社では、まだCGによるレンダリングが珍しかった時代から、コンピューター上で光をシミュレーションする技術に触れていた。
その後、仮想空間サービス「Second Life」が話題になったときには、「ここに家具のショールームをつくれないだろうか」と考えていたという。
そのため、Virtual Sumidaの話を聞いたときも、仮想空間そのものに対する戸惑いはほとんどなかった。
「やっと時代が追いついてきた、という感じですね」
以前から考えていた仮想空間での見せ方を、現在の技術で改めて考えられるようになった。
Virtual Sumidaで見せたいのは、完成品だけではない
ただし、間中木工所がVirtual Sumidaで見せたいのは、完成した家具を3D空間に並べるだけのショールームではない。
特注家具では、完成品を見るだけよりも、素材や加工方法、製作途中の状態を見ることで、「この技術を使ったら何ができるだろう」と想像が広がることがある。特にデザイナーや設計者にとっては、完成された答えだけでなく、そこに至るまでの選択肢を知ることにも意味がある。
間中さん自身、「完成したものは、それ以上でもそれ以下でもない」と話す。だからこそ、材料や加工の途中、試作、職人の技術なども見せながら、見る人が次のアイデアを考えられる場所にしたいという。
Virtual Sumidaでは、家具そのものだけではなく、「何ができるのか」を想像するための材料として、間中木工所のものづくりを伝えていく。
100年を超えても、仕事の形を変え続ける
間中木工所は、創業以来ずっと同じ事業を続けてきた会社ではない。建具の加工から製品づくりへ、既製家具から特注家具へ。下請け中心の仕事から顧客との直接取引へと、時代に合わせて仕事の形を変えてきた。
手描きの図面からCADへ、ホームページ、CG、海外展示、そして仮想空間へ。新しい技術や方法も取り入れてきた。
一方で、間中さんが「つくってなんぼの商売」と表現する、ものづくりそのものへの軸足は変わっていない。
依頼主やデザイナー、地域の企業と話しながら、それまでになかったものを実際の形にする。100年を超える歴史を持つ間中木工所は、今もその方法を更新しながら、墨田でものづくりを続けている。
Q&A
間中木工所はどのような会社ですか?
東京都墨田区に拠点を置く、1924年創業の特注家具メーカーです。木製の特注家具・造作家具を中心に、ヒアリングや設計提案から製造、塗装・仕上げ、現場取付まで一貫して手がけています。
どのような家具を依頼できますか?
住宅の収納や書斎、店舗什器などに加え、既製品では対応しにくいオーダーメイド家具を幅広く手がけています。ギターや日本刀、フィギュアなど趣味のコレクションを美しく見せるための家具や、家族構成の変化に合わせて使い方を変更できる家具など、用途に応じて一から検討します。
間中木工所の特徴は何ですか?
クライアント・デザイナー・メーカーが対等な立場で意見を出し合い、「世の中にまだないもの」を一緒につくっていくことを重視しています。また、一人の職人が加工から仕上げ、現場取付まで一連の仕事に関わることも特徴です。
「すみだの森」プロジェクトとは何ですか?
墨田区内の公園や神社などで伐採される樹木を地域資源として活用し、家具や什器などへ生まれ変わらせる取り組みです。木そのものだけでなく、その木が育ってきた場所や背景も次へ受け継ぐことを目指しています。
海外の案件にも対応していますか?
海外への納品実績もあり、取材時にも上海やジャカルタなど国外に関わる案件について話されていました。約10年前にはパリのインテリア関連展示会にも出展しています。
