コンビニのお弁当、スーパーの惣菜パック、飲み物の蓋。毎日当たり前に触れているプラスチック容器の多くは、金属から精密に削り出された「金型」がなければ生まれない。その金型づくりで国内トップシェアを誇るのが、墨田区に拠点を置くバキュームモールド工業株式会社だ。1958年の創業から60年以上、社員数約200名にまで成長した同社を率いるのは、2021年、弱冠20代でその座を継いだ4代目社長である。
誰にも気づかれない仕事を、誰よりも突き詰める
「ストローが刺さらない蓋」を覚えているだろうか。環境配慮からプラスチックストローの使用が見直された際、ストローを使わずに直接口をつけて飲める蓋のかたちが、次々と改良されていった。あの飲みやすさの裏側には、金型メーカーと飲料メーカーが何度も試作を重ねた試行錯誤の蓄積がある。
同社が手がけるのはこうした身近な容器だけではない。トラックで運ばれる過程で中身が潰れてしまわないよう、プラスチック製品そのものの強度を金型の段階で設計し、お客様と一緒に「壊れない形」をつくり上げていく。目立たない仕事だが、社会の物流や消費のインフラを静かに支え続けてきた自負がある。
この道の技術は、教科書や参考書には載っていない。先輩から後輩へ、時間をかけて受け継がれていくものだ。社内では、指導する側とされる側の関係を「親子関係」と呼ぶ。図面が引けるようになるまではそう時間はかからなくても、そこに自分なりのアイデアや経験を盛り込んで一人前になるには、何年もの歳月が必要だという。入社して1、2年もすると、設計や製造に携わる社員はコンビニやスーパーでプラスチック容器を眺めては「この持ちやすさはこの凹凸のおかげか」などと分析するようになる。冗談交じりに「変態」と呼ばれるその観察眼こそ、同社のものづくりを支える土壌だ。
目が見えなくなったからこそ、始まった会社
同社の創業は、決して順風満帆なところから始まったわけではない。創業者である祖父は、原因不明の目の病気にかかり、既存の企業に就職することができなかった。生きていくためには自分で会社を興すしかない——そう腹をくくり、妻(現監査役)を社員第一号として、石膏を使った型づくりから事業をスタートさせた。当時、工業製品向けの石膏型づくりというニーズはまだ世の中にほとんど存在していなかったという。その後、プラスチックの普及とともに真空成形という技法に出会い、事業の軸足を移していく。高度経済成長期、コンビニやスーパーで大量に必要とされる弁当容器などの需要とともに会社は大きくなり、今では業界トップシェアの規模にまで育った。
創業者は生前、自著の中でこう綴っていたという。「目が悪くなって、周りからは残念がられたけれど、自分にとってはむしろ良かった」。この会社を支えてきたのは、自分ひとりの力ではなく、協力してくれた社員一人ひとりの存在であり、その「共存共栄」の精神は今も社内に息づいている。
4代目社長がバトンを受け取ったのは、そんな会社が新型コロナウイルスの影響で業績が落ち込んでいた時期だった。先代である3代目が「まだ若く元気なうちに引き継ぎたい」という思いを抱いていたこともあり、若くして経営のかじ取りを任されることになる。入社前は他のものづくり系の企業に勤め、工業高等専門学校で機械に親しんできたが、本人いわく、現場のものづくりの深さそのものは、周囲のベテラン社員の方がはるかに詳しい。「経営の方が自分には合っている」と語る通り、「こういうことをやりたい」というアイデアを役員陣に相談し、実現の可否や進め方を一緒に組み立てていくスタイルで会社を動かしている。
コロナ禍から生まれた、もうひとつの挑戦

左から:取締役 枝松和也さん、 取締役 営業統括 常楽明宏さん、 代表取締役社長 北澤正起さん
2021年に社長に就任してから1年ほど経った頃、コロナ禍で時間ができたこともあり、金型事業の土台づくり以外に何か新しいことを始めたいという思いが芽生えた。きっかけは、ネットニュースで見かけたカップ麺の蓋の写真だった。中のクリームが溶けているようなビジュアルに惹かれ、「こんな商品が作れたら面白い」というアイデアが浮かんだという。
社内のプロダクトデザイナーに突然「カップ麺の蓋を作りたい」と相談を持ちかけたことから始まったプロジェクトは、やがて「バキュームモールドらしさが伝わる、名刺代わりになる商品を作ろう」という方向にまとまり、有志のメンバーとオリジナルブランドのインテリアライト開発へと発展していく。企画から実際にギフトショーへ出展するまで、わずか半年ほどのスピード感だった。アイデア出しから改良までのサイクルは1〜2週間というペースで回り続け、外部パートナーからも「そんなスピードで物が作れるのか」と驚かれたという。数々の技術が社内に集積しているからこそ実現できる、ものづくりの総合力の証だ。
もっとも、その道のりは苦労の連続だったという。これまでは取引先から依頼された仕様通りに作ることが「品質」だったが、自社商品では「作りたいものを作る」のではなく「手に取ってもらえるものを作る」という発想の転換が必要になる。ものづくりが好きな人間ほど、つい凝った方向に走ってしまい、量産のしやすさやコストとのバランスを欠いてしまう——そのせめぎ合いこそが、最も難しい部分だったと振り返る。展示会に足を運べば来場者から実に様々な要望が飛んでくる。大きい方がいい、小さい方がいい、明るさを変えてほしい——時に矛盾する声すら、すべてが新しい気づきになっているという。
世界に挑む「チャレンジャー」でありたい
イギリスでの展示会に出展した際、同社は自分たちのことを「チャレンジャー」と表現した。プラスチック樹脂を形にするための型を作る会社として、あらゆる形状や演出に挑戦する存在でありたいという思いを込めてのことだ。
実は、金型そのものを求めて問い合わせてくる顧客はほとんどいない。多くは「金型から生まれるプラスチック製品」を欲しがっている。そのため、ホームページや対外的な発信では「金型」「金属加工」といった専門用語よりも、「プラスチック製品」といった、たどり着きやすい言葉を意識しているという。
問い合わせに対しては、予算の大小を問わず、原則としてすべて話を聞く姿勢を貫いている。時には、相談者が思い描いていた作り方とは違う、より良い方法を提案することもある。効率だけを考えれば取捨選択もできるが、「まず聞く」ことを大切にしているのは、そこから思わぬ発見や、まったく畑違いの業界とのつながりが生まれることを知っているからだ。
海外製造との違いを問われると、ある象徴的なエピソードが返ってきた。飲料の蓋の密閉性を検証する際、日本のメーカーは「横向きに3分間置いても漏れない」という、日常生活ではまず起こり得ない条件までも律儀にテストする。海外では「そんな状況、現実には起きないでしょう」と省略されてしまうような検証を、真面目に積み重ねる。それこそが、価格や納期で優位に立つ海外勢に対して、品質と生産性で応えていく同社の矜持だ。
地域とともに、次の世代へ
会社の安定を支えているのは、金型づくりの技術だけではない。地域との関係を長年にわたって築いてきた社員の存在も大きい。創業者の代から受け継がれてきた地域とのつながりを絶やさず育んできたことが、今の会社の基盤になっているという。
採用にあたって大切にしているのは、ものづくりが好きという情熱はもちろん、「誰かのために何かしたい」という前向きな気持ちだという。文系・理系は問わない。200名規模の中小企業だからこそ、一人ひとりの裁量が大きく、「もっとこうしたら良くなるのに」という声が実現しやすい環境がある。若手が自分の力でステップアップしていける会社でありたい、というのが社長の願いだ。
将来的には、墨田区の一角に自分たちの店舗を構え、地域の人々が気軽に訪れ、ものづくりに触れられる場所をつくりたいという構想もある。まだ何もないこの地に、新しい役割を生み出していきたいという。
見えないところで社会を支え続けてきた金型づくりの技術と、そこから生まれた挑戦の物語。気になった方は、Virtual Sumidaでバキュームモールド工業の工房を覗いてみてほしい。日常にあふれるプラスチック製品の向こう側に、これほどの技術と情熱が積み重なっていることに、きっと驚くはずだ。
